2012年4月25日水曜日

Author's Contributionは必須?

ところで近年よく雑誌で見かけるようになった


Author's Contributionって必須なの?


YESともNOともいいがたいですね。


なんせ、投稿する先にもよって考え方がことなりますからね。



ただAuthor's Contributionの記載を求められる場合


掲載される論文に関わった共著者全員において


各人どのような役割を担っていたのかを申告する必要があるっていうからびっくり。


しかし、なぜそこまで細かい申告制度を設けなければならなかったのだろうか?


まず共著者とはなんだろう?ってところから考えてみると・・・


投稿される論文を書き上げるに際し、


その研究に取り組み、主要なデータを採った人とみなされた人物


そしてその研究成果の発表方法、内容、投稿先に至るまで同意をした人物


では重要な役割は担ってはいないものの、


研究を潤滑に推進するために得たサポートを提供してくれた人物はどうなるのだろうっておもいますよね?


出版会社の解釈においては、


研究推進サポートをしてきた人物は論文の掲載において何の責任も背負わないこと


そして研究員として研究成果に対し大きな役割を担っていないことから


Acknowledgementにその存在を認めてあげよう







といった姿勢


研究の規模が大きくなればなるほど、


個々の共著者の力関係や、役割の度合いなど複雑化するので


10年近く前あたりから数々の出版会社・学会にてAuthor's Contribution掲載を起用したり、これ等を必須化するようにはしたらしいのだが・・・


正直、このような制度があっても、まだ100%物事が解決するわけではないらしい。


何故なら、共著者として並べられる研究者の数に制限がある雑誌もあるからだとか。


後はいかにAcknowledgementを書き上げるかにもよるが、


最初から論文内で今回の研究成果はこれ等研究機関との共同研究によって得たデータである


とまとめてしまい


内容、掲載等の責任または出版に際して発生する費用の負担などに対し、共著者として名乗り出ることに同意を得ることが人物だけが共著者リストに掲載されればよいと考えるケースもあったりもするらしい。。。


とはいえ、


やはりここは人間


掲載される順番を役職や経歴別にされたりするのは気分的にも嫌なものだろうから



結局は機械的にアルファベット順にしたり、


筆頭著者を最後にして、研究に関わった順番を研究チームの貢献度合いで決められる様子


出版社または学会が考える共著者というものの価値観によってルールは異なってくるだろうが


ここは気を付けなければならないところだろう。


ましてや、書き方にまでルールがあるわけで


例えばTaro Ronbun, Ph.D., と Hanako Kenkyu, M.D. がいたとしよう


出版社によっては

Hanako KENKYU, M.D., Taro RUNBUN, Ph.D. といったようにLast Name(苗字)とFirst Name(名前)を区別しやすくしたりしますし


最終学歴の記載を求められる場合もありますし


逆に簡素化してしまい H. Kenkyu,  T. Ronbun, とだけ記載させる場合もあるわけで。。。


論文での著者名や所属先の書き方なんて似たようなもんでしょ?って考えていると


意外と痛い思いをするわけです・・・


で、、、ずいぶん話がそれましたがAuthor Contributionsの典型的な内容について確認してみるとしよう 。


Conception and design of the study  
研究自体のコンセプトやデザインを誰が構築したのか

Analysis and interpretation of data  
誰が今回の所収データを分析・解析したのか、

Collection and assembly of data    
誰が詳細データを収集し、取りまとめたのか
 
Drafting of the article          
誰がドラフト原稿を書き上げたのか  

Critical revision of the article for important intellectual content   
誰が筆頭著者として責任を持ち、原稿を推敲、内容確認を行ったのか

Final approval of the article      
誰が投稿に際し最終的許可を出したのか



Author Contributionsというものが世の中に出回るようになってかれこれ5年以上になるとおもうのだが


結局のところ、


実験をやっただけ、数字をとっただけといった人物と


研究のデザインやコンセプトを考えた人物


そしてその研究全体において全責任をもって取りまとめ、筆頭著者になった人物


これ等を区分けしたかったからとも思われる


ここで見えてくるのは


論文を評価・査定する際、どのようなバランスで採点をしていくべきかといった


とても現実的な問題に直面すること


どこまでが評価の恩恵を100%受けることができるのかできないのか


学位審査に響くような論文である場合、そこは充分考慮しなくてはならないのかもしれませんね。


色々な意味で、過去の負の遺産が、近年の研究者を圧迫しているといっても、過言じゃないのかもしれない。。。


科研費の申請方法だったり・・・以降省略○△×■@・・・