2012年2月14日火曜日

簡単な英語で論文を書くのすすめ

ここ10年ぐらいの間に多数の雑誌がOpen Accessになり掲載できる論文の数がアップしたことでジャーナルの質は落ちずに少しだけ掲載までのハードルが低くなってきたジャーナルが出てきていますね。


ほぼ毎日のようにどこかで新しい研究がスタートし、発表されている中


いかにして我々は最新の情報についていけばいいのだろう?って思うこともしばしば・・・


しかし、世の中も便利になったもので


最近では携帯端末のアプリも充実し、雑誌が提供しているアプリをダウンロードしておけば、最新の情報が自らやって来てくれる時代に。


なんて好都合!


でも、その裏には目まぐるしい動きがあるのを忘れてはいけない。


デジタル化された情報をいかにまとめあげ、その情報を求めている人に提供するか。


投稿規定ひとつとっても近年の目まぐるしいデジタル化の影響が色濃く出てきているわけです。


どこまでこのデジタル化が研究者の論文ライフを変えていくのやら。



実際問題



「赤ペン先生」なんて表現はもう通じないだろう。



機械翻訳もあともう少しのところまで来ているというし・・・



もちろん、機械翻訳にはまだまだ得て不得手があり、現実的に使える代物になるのはいつのことになるのやら・・・


ましてや論文やエッセーのように著者の表現や、専門とする内容、細かい説明、日本人の大好きな「微妙」「あいまい」が多い原稿なんて、


まだまだ夢のまた夢なのだ。


どんなにデジタル化が進もうと、論文やエッセーはアナログ時代のように何度も人間が推敲しなければ成り立たない。


字面だけを追って、英語にしたとしても、それは直訳されたに過ぎない。


短い要旨ですらやはり、専門的な視点から推敲をしなければ演題登録できるようなレベルには達さない。


Open Access化しようが、演題登録の枠が広がろうが、そこは半永久的に変わらないのだ。


しかも、一番のハードル、「査読」は絶対に人間しか出来ないという現実はどう頑張っても変わらない!!


だが、その「人間」が現在は問題化してきているのも事実だったり。


生命科学が多種多様化、多分野混合型になって来たことによって、論文を「査読する人間」がいままで以上に多民俗化してしまった。


すなわち


典型的な日本人が好んで使う「格調高く、難しい英語」を使っていてはもう二進も三進も行かない時代がきたということ。


研究者はそれでなくたって多忙




論文をなぜわざわざ複雑に書かなくてはいけない?


キーポイントはたったこれだけのこと。


でも、研究者の性かな・・・


あえて難しく書く→英語が複雑化する→わかりにくくなる→英語に関してクレームがくる→もっと手を加える→悪化する・・・


堂々巡りになってしまうこともざら。


査読者から届く英文コメント自体、校閲者からすれば校閲をしたくなるぐらいなわけで。


酷いときは専門家で、英語の読解力のある人間が読めば一目瞭然の結果内容も、査読者が勝手に誤解し不当な意見を述べられ、掲載への道が絶たれてしまった人もいるのではないだろうか?


簡単な英語で論文を書く


のこと事態、何が難しいのだろう?


それは無理!とおっしゃるあなたはこんなことを実践してみてはいかがだろうか?


1.論文のテーマを決める 


2.必要な情報、論文化すべき情報をリストする (どこまでの情報をその論文で出していくかの選別がとても大切)


3.テーマに対し、ひとつずつ紐付けしていく


4.投稿先を決め、必要なパーツをベースに組み立て方を検討


5.書き始める


6.ドラフト作成に加わっていない第三者にドラフトを読ませる=誤解を呼ぶ箇所や盲点を探せ


7.再度推敲


8.校閲会社に出す または 一発勝負で投稿してしまう


3&4の工程で抜かりが出ると、大変なことになるのでここはしっかり共著と相談


5においては出来る限り短い文章で物事をまとめることを心がけ、わかりやすい表現を用いてざっと一気に書きまとめてみる→1日なり2日なり離れてみる→読んでみる・推敲する→誰かに見てもらう→推敲する


人間時間に限りがあるのでなかなか一気に書き上げるということが出来ない場合、確実につながりのあるセクションごとでとめる、またはパーツごとでというのも有効


今日はイントロを書き上げるべし!今日は集めておいたM&M用情報をまとめるべし!


なぜなら




だらだらと論文を書いていると、その性質が論文にまで出てしまい、




RUN-ON SENTENCESのオンパレードになる傾向があるから!




しかも、思いついた勢いで挿入する変更のほとんどは全体の流れを無視した形での挿入になるので文章スタイル、前後の文章とうまくかみ合わないこともしばしば




勇気をもっていったん論文から完全に離れるということも大切ということです。