論文を書き、投稿する人間誰もがぶち当たる壁
編集者・査読者
果たして彼らは何を根拠に選ばれているのだろう?
1.出版会社・各ジャーナルごとに存在する編集長の独断で論文に適していると思われる1~4名の専門家から決める
2.ジャーナルの査読者として登録している研究者の中から適任と思われる研究者などに査読を依頼
3.著者が査読者候補・非候補を指名
いずれも受ける側に査読をするかしないか決める権利がついてまわることには間違いないわけで、査読者がつかない論文は編集長の手元で滞ってしまうこともしばしば。
また、査読者に対しジャーナルは報酬を払っているわけではないので、選ばれた研究者も好き好んで査読者になっていないケースが多いため、査読の期限はあるようでないようなものと考えていることも多く、酷い場合は1年以上ほったらかしといったことにもなりかねない。
実際問題
そもそも査読者自身、ある意味、ライバルであることを忘れてはいけない。
ではここで主なる査読制度のプラス要素をあげてみよう
同分野の研究者(読者)の目線から貴重な意見をもらえる
↓
自身の盲点に気が付く
↓
論文内容の更なる改善
↓
掲載された際、読者が参考文献として引用する可能性が上がる
ではマイナス点はなんだろう?
査読者自身が同分野まさに同じような研究をしているライバルの可能性が大
査読者のさじ加減・好き嫌いで採択が決まる可能性は払拭できない
共同研究者、友人等の中で同類の研究で投稿を予定している人を優先する可能性がある
査読者の都合で採択有無についての報告、またコメントをもらえるまでの時間が長引く可能性がある
一番辛いケースは、どのジャーナルに投稿しても同じ査読者に回る可能性がある時
このように、マイナス要素は細かい上に、自身がコントロールできる要素はほぼZEROに等しい。
「WHAT IF」をあげていったらエンドレスであることは確実なのだ。
では何故ジャーナルは査読制度にこだわり続けるのだろうか?
それはもちろん
読者に対し発信していく全情報を第三者である専門家に査定させることで情報の目新しさ、信憑性、質、科学的価値などをコントロールする役割を担ってもらうためだ。
ニッチな専門誌の場合、ポツポツと投稿されてきた論文はまず編集長が閲覧、御眼鏡にかなえば査読にまわるだろう。
しかし
大手出版会社の著名専門誌ともなると一日に投稿されてくる論文だけでもかなりのものだろう。
世界中から祝祭日・朝晩関係なく配信されてくる論文を果たして編集長はすべて読むことが出来るだろうか?
そんなことは不可能だろう。
査読以前の問題はここで何度も話題にしてきたカバーレターと要旨のパワーで乗り切るしかない!
編集長なり副編集長なり、ジャーナル側が興味を示して初めて査読対象の原稿になるというのに、そこに力を注がないのはあまりに無謀ではないだろうか?
査読にまわって初めて論文は戦いの舞台に上がるのだから、準備は万端にしておきたいと思うのが論文をわが子のように考える人たちなのかもしれない。
論文サポートのエヌ・エイ・アイは、編集長としての経験や、査読者としての経験を持った専門家が校閲を提供させて頂くことで少しでも確実に査読ステージに上がれる原稿作りをお手伝いしています。
査読前の原稿はもちろん、査読者を納得させる為のお手伝いもさせていただいております。
当方にて校閲した原稿でなくともサポートは可能です。
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